蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

🐿️シューマン ⑮ アベッグ変奏曲③

蝦夷リスー岩本れい子大ファン


Lang Lang Schumann Abegg Variations トロイメライx3

🌠自殺未遂

シューマンはクララとともにたびたびデュッセルドルフを抜け出して演奏旅行に出かけた。とくにオランダではシューマンの作品が受け入れられ、高い評価を得た。1854年のはじめにはヨアヒムやブラームスとともに旅行し、ハノーファーでの演奏会を成功させた[145][121][133]

シューマンの日記によると、1854年2月10日の夜に彼は激しい耳の痛みに襲われた。4日後の2月14日、レストランでヴァイオリニストのベッカーと同席したシューマンは、手にしていた新聞を置いて「とてもこれ以上読んでいられない。A音が鳴りっぱなしで聞こえるんだ」と言ったという[146]

クララは日記に次のように記した。

「かわいそうなロベルト、ひどく辛いらしい。彼にはどんな音も音楽に聞こえてしまうのだ。……これが止まらなければ気が狂ってしまうと何度も訴えている。巨大な管弦楽のようなものが聞こえ、それが終わるかと思えば、また次の音楽が彼の幻想の中に聞こえてくるという具合で、幻聴はひどい状態に達している」— 1854年2月、クララ・シューマンによる日記[146]
シューマンが自殺未遂を起こしたライン川の橋(1850年の版画)

2月17日には、シューマンは天使たちが歌って聞かせてくれたという変ホ長調の主題に基づく『主題と変奏(天使の主題による変奏曲)』を書くが、この旋律は前年の1853年に作曲したヴァイオリン協奏曲に酷似している[146][121][133][注釈 22]。 翌18日になると天使たちは悪魔に変わり、ハイエナの姿を取ってシューマンをめがけて襲いかかった。二人の医師が呼ばれ、シューマンを診察した。19日、シューマンは悪魔の精霊に取り囲まれ、夜まで苛まれた。20日にはシューマンは罪と悔恨に打ちひしがれ、自分は罪人で地獄に落ちるのだといって聖書を読み続けた[146][148]。 その後も発作と小康状態を繰り返したが、2月26日夜、シューマンはもはや分別を保てず、このままでは妻や子供たちを傷つける恐れがあるとして自分を精神病院に入れるように言い、身の回りの整理を始めた[146][148][121][133]

翌2月27日、クララと医師が話し合っている隙にシューマンは家を抜け出し、ガウンとスリッパのままの姿でライン橋まで行き、ライン川に身を投げた[146][148][133]。 飛び込む前に、シューマンは結婚指輪を外して川に投げ込んでおり、これは16年前の1837年11月、クララへの求婚で悩んだシューマンが婚約指輪を深い池に投げ込んだのと同じ行為だった[146]。 シューマンの寝室には、『主題と変奏』の浄書[121]と「愛するクララ、僕は結婚指輪をライン川へ投げ入れます。君もそうしてください。そうすれば、二つの指輪はひとつに結ばれるのです」という走り書きがあった[146]

シューマンが川に飛び込むところを漁師が目撃しており、彼は救助された[146][121]。 家に連れ戻されたシューマンは再び精神病院への入院を望み、ボン近郊のエンデニヒにあるゲイムラート・リヒャルツ博士が経営する療養所に収容されることになった[146]。 3月4日、シューマンはエンデニヒに向かった[148][133]。 このときクララは懐妊中であり[注釈 23]、消耗の極みに達していたために、医師がシューマンに会うことを許さず、彼の自殺未遂についても聞かされなかった。クララがこれを知ったのは、シューマンが死んで2年後のことである[146]

晩年(1854年 - 1856年)

自分の掛替えの無い青春、初恋、愛妻物語など回顧的な傾向