蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-13 火曜日

2024-02-13 火曜日


 下痢で水分が大分なくなったせいだろう、おそらく腹水という症状が消え、そのお蔭でよく眠れた。気持ちよく眠れたと言う気分ではないが。


 起床は6時。それから冷蔵した人造レモンとヴィタミンCをいれたロイボスティーを飲んだ。夜だと水分の取り過ぎは腹水、そしてそこから来る呼吸困難に陥るのデ避けなければならないが、起床後は良いはずだ。水分は腎臓のためには良いはずだし。


 そのあとで、日、月の日記を書いた。
 今日は創作に勤しみたいと思う。まだ次の仕事まで期日もあるし、下痢と嘔吐から立ち直っている。今やらなくてはと思う。
 08:04 2024-02-13


 9時半には起床して、鉄剤を嚥下し、45分後には納豆半パックを使ってご飯を食べた。
 どうもわたしは孤独感に弱く押しつぶされるタイプのようで、日記などの感情の垂れ流し文は幾らでもで綴れるが、創作となるとやはり能力不足ということと、書く前に体が硬くなってしまって進めなくなる。
 こんなときには、ハードルを下がる気持ちで書こうとすれば良いらしいのだが。
 結局ビストロすまっぷなどのYTを視聴してしまっているのである。
 そして椅子に座りソニーのラップトップのモニターの動画を視聴していたこともあり、午後4時半にはまたベッドインしていた。起床は7時半だった。数日前は不眠で自分の体が心配でならなかったが、今は、なんか横になり過ぎで胴体がながくなったような気がする。


 それから、8時15分の映画をジョインで視聴した。Slow Westという西部劇だった。最高点の三点の評価が下されていたが、まあまあのできではなかったろうか。感激とか泣かせてくれるとかそんな印象は残らなかった。
 電子レンジを使ってカレーを作り、ご飯でジャガイモなしで食べた。ニンジンと玉ねぎ、そして牛肉の角切りだけをいれて。
 すると、糖尿病のせいでまもなく眠気に襲われてベットに転がり込んでいた。
 翌日、水曜日の朝五時半まで。
06:15 2024-02-14

2024-02-11と⒓ 日曜と月曜日 下痢と嘔吐と睡眠

2024-02-11と⒓ 日曜と月曜日 下痢と嘔吐と睡眠


 四時半あたりまでシャロン・ストーンとデ・ニロ共演の映画カジノを見てしまった。初めて見た。それまでにも部分的に見たことがあったが、卑賎な罵りや殺しばかりが目立って、文学的にはまったくとるものはないと感じていた。だが、今晩視聴して、こういうミリュウをドラマチックに効果的に展開して行くストーリーはひとつの好例とも言える作品だとも思った。


 それが終わった後で、わたしのアクションが遅かったが、フランクフルトの町並みや名所旧跡が動画で放映されていた。ノイエヴァッへやカタリーナ教会だったろうか、記憶にある建物が目の前にリフレッシュされた。
 たぶんその気になればytで検索して同類の動画も見つけられると思う。
04:47 2024-02-11


 玉ねぎ、キャベツ、ニンジンをスムージー機にいれて粉々にしようとした。だが、液体が入ってないとそれも不可能とわかり、冷蔵しておいたロイボスティーをいれて成功した。
 塩胡椒をまぶしてお椀一杯分ぐらいは自分の健康を思って食べた。
 そしておよそ8、9時間後、下痢を起こしていた。水分がアフターから水鉄砲のような勢いで放射された。
 それも⒑っ回以上に及んだ。アフターはひりひりトイレットぺ0-パーのせいで痛み、一度は下着にでてしまった。意思で排出を制御できなかったのであった。そして取り換えたのだが、それは夜中まで続き、最後は横になっていたときに、下着や股引のなかにでてしまった。下痢と言うのはそういうものである。ただ、でてきたのは殆ど水分と野菜のこまぎれでそれほど汚いもの、汚物という感じはなかった。自分が食べてだしたものだから、点数も甘くなるのだ。
 思い返せば、殆どこの野菜のスムージーのあとで何も食べてなかった。ひとつだけ、土曜日にフライパンで焼いて食べきれなかった豚の細切れに衣をつけて売っていた、賞味期限のきれ当日のメンチ風の肉が残ってゐたのデ、それを冷えたまま食べた。が、このちょっと甘かった肉の臭いが喉元からゲップを起こして幾度も戻ってきていた。下半身だけでなく、胃から上の半身も気分が悪かった。ダブルパンチだった。
 最初は我慢していたが、夜中に上半身だけでもと思い、水を一杯飲んで、喉に指を差し込み、ベロの奥を押して一二度吐くのに成功した。オゾマシイ酸味のある臭いがバケツの周りに漂った。なんであの肉がこんな臭体の混合物に変わるのか理解できなかった。吐いている時に下半身から水が噴き出てはと思い、トイレに座って、バケツに吐いていた。さんざんだった。
 ということでなにも体は栄養を補給していないのとおなじだと思ったわたしは、水分の吸収にもいいにちがいないお米を食べることにした。ただ、米をどのようにたべるかと思うと、やはり食欲は納豆以外にしかでてはこなかった。
 それで、下着を二度目に取り換えた後では納豆ご飯を食べた。そしてこれが良かったようで、あるいは流石にもうニンジンとキャベツのスムージーも体を通過したのか、そのあとではよく眠れた。


月曜日は夜明けにパック半分の納豆を使ってご飯を食べてから、午後の5時半まで寝ていた。
 これは、数日間腹水と貧血でよく眠れなかった、いや、殆どねむれなかった日々を振り返ると僥倖だとわたしは思った。ただ、嘔吐と下痢のせいでわたしは半病人のようであった。
 日曜日も月曜日もなにも出来なかった。
 月曜はあまり長く睡眠をとっていたので、悪夢をみてうなされていた。
 07:19 2024-02-13


 このままでは遅刻をしてしまうという不安。そしてポツダムのサンスーシー庭園で夕焼けを見ながら薗遊パーティーをするという、これまでにもなかった、またこれからもありそうにないゴージャスな庭園での夕食会に遅れるのではと言うのと、同時に、自分はあるハイテク業者のモダンな事務所に行く予定になっているはずという状況に置かれてもいた。しかも、夢の中のわたしは、この予定にちょっと疑問をもっている。ほんとうかなっと。しかも誰にも確認できない。ひとり、N.S.Nに連絡をとると、これから彼女もポツダムに向かうと言う話をする。それでも、平気で嘘をつく人間であることをしるわたしにはその彼女の言葉がしんじられない。自分のカレンダーをみても、そんなことはどこにも記してない。これまで記し忘れたのはたったの一度だけのことであり、このイベントを書き落すはずがなかった。ましてJ社がそんな大枚をはたいて多くの人を招待して夕食をこの有名な場所をかりておこなうことも随分信憑性がかける。
 もう一方のハイテクの会社のこともなにもカレンダーにはかいてないし、それに関してのアイテナリーとか、メールもなにもきていない。通常決められたJ社の担当者からいくつも直前にはメールがくるものだが、それもない。
 そこに妻、30代の妻があらわれなにか支度でもなんでも自分のできることがあったらと顔を姿をあらわしてくれるのであった。わたしは、普通に大丈夫と答えていたが、目覚めてから、もう妻は11年も前になくなっていることに思い当たった。そして自分には二月の下旬に学生の仕事があるだけだということがぼんやり浮かんだし、ルードーというベルリンの南部に現在はすんでいることにも徐々に思い当たった。妻とは社ロッテンブルク区の繁華街にずっと一緒に住んでいたから。
07:37 2024-02-13

2024-02-11と⒓ 日曜と月曜日 下痢と嘔吐と睡眠

2024-02-11と⒓ 日曜と月曜日 下痢と嘔吐と睡眠


 四時半あたりまでシャロン・ストーンとデ・ニロ共演の映画カジノを見てしまった。初めて見た。それまでにも部分的に見たことがあったが、卑賎な罵りや殺しばかりが目立って、文学的にはまったくとるものはないと感じていた。だが、今晩視聴して、こういうミリュウをドラマチックに効果的に展開して行くストーリーはひとつの好例とも言える作品だとも思った。


 それが終わった後で、わたしのアクションが遅かったが、フランクフルトの町並みや名所旧跡が動画で放映されていた。ノイエヴァッへやカタリーナ教会だったろうか、記憶にある建物が目の前にリフレッシュされた。
 たぶんその気になればytで検索して同類の動画も見つけられると思う。
04:47 2024-02-11


 玉ねぎ、キャベツ、ニンジンをスムージー機にいれて粉々にしようとした。だが、液体が入ってないとそれも不可能とわかり、冷蔵しておいたロイボスティーをいれて成功した。
 塩胡椒をまぶしてお椀一杯分ぐらいは自分の健康を思って食べた。
 そしておよそ8、9時間後、下痢を起こしていた。水分がアフターから水鉄砲のような勢いで放射された。
 それも⒑っ回以上に及んだ。アフターはひりひりトイレットぺ0-パーのせいで痛み、一度は下着にでてしまった。意思で排出を制御できなかったのであった。そして取り換えたのだが、それは夜中まで続き、最後は横になっていたときに、下着や股引のなかにでてしまった。下痢と言うのはそういうものである。ただ、でてきたのは殆ど水分と野菜のこまぎれでそれほど汚いもの、汚物という感じはなかった。自分が食べてだしたものだから、点数も甘くなるのだ。
 思い返せば、殆どこの野菜のスムージーのあとで何も食べてなかった。ひとつだけ、土曜日にフライパンで焼いて食べきれなかった豚の細切れに衣をつけて売っていた、賞味期限のきれ当日のメンチ風の肉が残ってゐたのデ、それを冷えたまま食べた。が、このちょっと甘かった肉の臭いが喉元からゲップを起こして幾度も戻ってきていた。下半身だけでなく、胃から上の半身も気分が悪かった。ダブルパンチだった。
 最初は我慢していたが、夜中に上半身だけでもと思い、水を一杯飲んで、喉に指を差し込み、ベロの奥を押して一二度吐くのに成功した。オゾマシイ酸味のある臭いがバケツの周りに漂った。なんであの肉がこんな臭体の混合物に変わるのか理解できなかった。吐いている時に下半身から水が噴き出てはと思い、トイレに座って、バケツに吐いていた。さんざんだった。
 ということでなにも体は栄養を補給していないのとおなじだと思ったわたしは、水分の吸収にもいいにちがいないお米を食べることにした。ただ、米をどのようにたべるかと思うと、やはり食欲は納豆以外にしかでてはこなかった。
 それで、下着を二度目に取り換えた後では納豆ご飯を食べた。そしてこれが良かったようで、あるいは流石にもうニンジンとキャベツのスムージーも体を通過したのか、そのあとではよく眠れた。


月曜日は夜明けにパック半分の納豆を使ってご飯を食べてから、午後の5時半まで寝ていた。
 これは、数日間腹水と貧血でよく眠れなかった、いや、殆どねむれなかった日々を振り返ると僥倖だとわたしは思った。ただ、嘔吐と下痢のせいでわたしは半病人のようであった。
 日曜日も月曜日もなにも出来なかった。
 月曜はあまり長く睡眠をとっていたので、悪夢をみてうなされていた。
 07:19 2024-02-13


 このままでは遅刻をしてしまうという不安。そしてポツダムのサンスーシー庭園で夕焼けを見ながら薗遊パーティーをするという、これまでにもなかった、またこれからもありそうにないゴージャスな庭園での夕食会に遅れるのではと言うのと、同時に、自分はあるハイテク業者のモダンな事務所に行く予定になっているはずという状況に置かれてもいた。しかも、夢の中のわたしは、この予定にちょっと疑問をもっている。ほんとうかなっと。しかも誰にも確認できない。ひとり、N.S.Nに連絡をとると、これから彼女もポツダムに向かうと言う話をする。それでも、平気で嘘をつく人間であることをしるわたしにはその彼女の言葉がしんじられない。自分のカレンダーをみても、そんなことはどこにも記してない。これまで記し忘れたのはたったの一度だけのことであり、このイベントを書き落すはずがなかった。ましてJ社がそんな大枚をはたいて多くの人を招待して夕食をこの有名な場所をかりておこなうことも随分信憑性がかける。
 もう一方のハイテクの会社のこともなにもカレンダーにはかいてないし、それに関してのアイテナリーとか、メールもなにもきていない。通常決められたJ社の担当者からいくつも直前にはメールがくるものだが、それもない。
 そこに妻、30代の妻があらわれなにか支度でもなんでも自分のできることがあったらと顔を姿をあらわしてくれるのであった。わたしは、普通に大丈夫と答えていたが、目覚めてから、もう妻は11年も前になくなっていることに思い当たった。そして自分には二月の下旬に学生の仕事があるだけだということがぼんやり浮かんだし、ルードーというベルリンの南部に現在はすんでいることにも徐々に思い当たった。妻とは社ロッテンブルク区の繁華街にずっと一緒に住んでいたから。
07:37 2024-02-13

2024-02-10 土曜日

2024-02-10 土曜日


 小澤征爾が亡くなったとのこと。16歳の高2の女子が乗用車に轢かれタイヤの間に挟まれながら5kmも引き摺られ死亡したという恐ろしいニュースも聞いた。運転手はタイヤで人を轢き乗り上げたことぐらいは体に感じるはずだ。それをずっと引き摺って行ったと言うのはちょっと私には許せない話だ。
 ドレースデンからベルリンへの列車での途中、細い橋の下を通り過ぎたところで、わたしの座席がわずかに盛り上がるような異物感を感じたことがあった。列車はまもなくそのあとで停止した。人を、おそらく橋から身投げした人を轢いたからだ。それは状況から判断してもすぐにわたしにも分かった。重い列車の中に座るわたしが鋼鉄の車輪が轢いたということを捉ええたのであるから、乗用車の運転手が感じなかったとは言わせない。酔っ払い運転かなにかだとわたしは思った。そもそもどうやって女子高校生がタイヤのなかに巻き込まれてしまうのか想像もできない。


 呼吸困難はほとんど、水分を昨日取らなかったお蔭でなかったが、それでもあまり眠ってない。創作もできなかったし、気持ちが落ち込まないように気持ちのむくままにYTを視聴していた。おもに、スマップだった。楽しい番組がわたしには必要だった。
 もちろん、スベのわたしの全財産を盗んだことへの処置をほとんどしてないこととか、生活保護を受けたくても、これも一歩も手続きが進んでないこと。I村も、その経験は教えるようなことがないこと。相変わらずの超エゴイストぶりを発揮している。などなどが未処理の問題として残ってゐる。


 午前11時半ごろ、NPに行く。やはり40mおきに佇んでは休んだ。まだ貧血ということもあるだろうし、睡眠不足。そして今朝自分を眠らせるためにビールを2本飲んだことが祟ったのかもしれない。数日ぶりのビールなのでちょっと体に影響したと判断できるだろう。このために、自分の体力が、貧血とか、心筋梗塞とかからどのくらい立ち直れているのか測定できないことになってしまった。
 スーパーでは、メモをしていったので、無駄な時間が削れたと思う。値段が下がっていた牛肉の細切れ2パックとスープ用の牛肉ワンパックを買った。贅沢なようなだが、安くなった時に買っておかないとという気持ちが優先した。日曜日には賞味期限が1日オーバーなので、フライパンで焼くか、電子レンジで茹でるかして、そのあとで冷凍庫に入れて保存しようと思う。
 ノンアルコールの缶ビールを一本だけ買った。レジにはあのイロケーゼの3十代の男が座っていた。
 帰宅して、玉ねぎ、キャベツ、ニンジンを切ってロイボスティーの冷却しておいたものをミクサーに入れて買ってきたマヨネーズに和えて一皿食べた。
 鉄剤をそのあと嚥下したが、食欲はたぶんこの薬剤の関係で減退しているようだ。


 今日は、昨日のスマスマで見たアラン・ドロンのせいで、ドロン三昧になってしまった。
20:35 2024-02-10

2024-02-09 金曜日

2024-02-09 金曜日


 不眠。ベットに横になっていたが午前5時範囲は諦めてベットから降りる。
 前の両脚で枕を作って、その上におでこを乗せて寝る、かつての私の可愛いペット、雄猫のサッシャとカスパーヒェンのようにして少しでも睡眠をとろうと思った。
 本当はそのあとで、ニュースもYTも見ずに、無音でグレイの雰囲気のなかで創作に邁進するべきなのであるが、やはり無に耐えられなくてYTを視聴しまくってしまった。なかでも、キムタクのCM集を見て、そのかっこよさに圧倒された。若い時は本当にみんな綺麗だとこの年になると感じるが、若かったときの木村拓哉は特別だった。あのマンダムのCMが特に凄かった。


 引っ越しを22年1月にしているのに、警察に引っ越し届を出していなかった。それが今祟っている。


 腹水?のせいで呼吸困難で睡眠がとれなかったので、今日は出来るだけ水分を取らずに努め幾度もベットに横になってみたりした。おそらく、鉄剤嚥下のために咥内が渇きくちゃくちゃになってロイボスティーを一口飲んで口腔を潤した。そして再びベットインして睡眠を試みた。だが、眠れはしなかった。
23:54 2024-02-09