蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

村上春樹から芥川、志賀直哉、夏目漱石。そして作風試食としての短編小説

 志賀直哉の自転車をだいぶ年を経てから再読してみた。すると、なぜ高校生辺りのときに感激したのかわからなかった。同じ時期に読んだ芥川龍之介の自転車は、その時に、作り物めいた印象が残り、わたしはさすがに志賀直哉は違うと思ったものであった。


 上記の事情から芥川の自転車を再読しようとした。ところが誰も朗読はしていないし、青空にそういうタイトルの作品はない。夏目漱石にあることを発見して驚かされたが。


 あの頃のわたしの感覚は何だったのだろうと、いまは不可思議な気持ちになってます。


 ところで、龍之介のこの自転車を探しているときに、武田鉄也のYTにぶつかりました。ルビーという翻訳家は確かに村上春樹のエキスパートとしてこちら欧州でも有名です。彼の翻訳を重訳していて、日本語の原文と比較はもちろんできなくなってしまった作品もあるでしょう。ただし、彼のような人が英語にまず翻訳してくれることで、日本に作家が存在することが世界でしられることにもなるし、もちろん、村上春樹にも、この点では感謝しなければならないかなと思います。
 かれほど知名度の高い日本の作家は現今では存在しませんから。彼を通して芥川、夏目、志賀直哉が知られていく可能性が維持されます。
 私自身は村上春樹の作品について、ファンには申し訳ありませんが、好きになれません。でも、彼が現在、日本の作家としては代表者ですから。これは、小川洋子、吉本バナナ、村上龍も比較にならない状態です。
 夏目、川端、三島、芥川、ましてや志賀直哉たちはほとんど読まれませんし、図書館の地下所個室に保管されているだけという状態です。
 そういう意味でも春樹の知名度、人気の高いのは有り難いと断定しなければなりません。



【武田鉄矢】芥川龍之介のスゴすぎる話


 龍之介について書くつもりでしたが、彼が読まれ始めているのは、おそらく、私たちが高校生の時代に読む時に、短編でとっつきやすかったということが上げられるのだと信じます。私も、校友もモーパッサンやクリスティー、ヘンリーの短編から読み始めていたと思います。そこから長編の女の一生や、フランス文学に関心が移っていき、また、そこに関連する日本の作家たちへと興味の連鎖が広がっていったと言えます。