蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

公開日記の必要性は

 ドラクロアについてなぜ日記に書こうとしたのかそのもともとのモチベーションを忘れていた。実は彼が日記を書いていたという事実をここに書き記したかったのである。真実をぶちまけることのできる場所として彼は日記を書いていたということである。
 ところで私が思うのは、日記をつける人というのは必ずや、あとで誰かに読まれるということを想定してはいないだろうか。想定していないものはいないと私は思う。たいていは死後に読まれると想像しているかと思う。ましてや彼のような有名人だったらなおさらそうであると思う。
 トーマス・マンだってあの膨大な日記は公開されることは生前からもちろん想像していて、妻の死後に公開してくれというような遺言を書いていたと思う。理由は妻にだけは知られたくないバイセクシャルという問題を抱えていたからであるが、余計な心労や苦悩を与えたくなかったということでは私たちと同じ思いだろうと思う。あとで、問題になるかもしれない。しかし、なにもかもぶちまけたい。それが日記であるのだが、余計な不安や心配などはよそ様に掛けたくないという気持ちもある。
 では、無名の私などはどうしたらいいのかというと、死ぬ直前に姪にメールで自分の日記を送らせて貰うという方法がある。が、もしそんな膂力もなくなっていたらどうなるか、という問題が発生する。どこかの誰かが、あるいはお役所が処理してしまうのではないのかという恐怖がそこにでてくる。そこでこの日記村が必要になってくるのだろう……

14:27:06   ‎2018‎年‎04‎月‎01日 ‎日曜日