蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

目的つきの散歩とその効用

気分転換のためには散歩が良いとおもいます。ただし、わたしはただ歩き回るというのはできなくて、何かの目的がないと外に出ようという気持ちにもならないのです。ここでえらい人の名前を出しますと、シラーなんかはゲーテと違って個室に閉じこもるタイプだそうで、その点ではこの秀才シラーのほうにわたしは似ているのかなとも思えますが、あちらこちらの刺激に左右されるという面では後者になり、つまり悪いところだけを二人から頂いているということになります。


ゲーテの時代にテレビやラジオがあったら、かれはああいう作品は完成できなかったのだとおもいます。でも、周りの人に応援されてやはり執筆し続けたのかとも思いますが。


年収を四回に分けて支払うように指図されていて、それで反抗的に逐一3ヶ月分づつ書いては銀行にいって送金するというのでは、手間隙かかるので、半年分、つまり二回分を書いてK大通りまで行って、そこのC銀行に行ってきました。
家をでると一人で去年の12月に愛犬を亡くしたおば様が一人で家にはいる途中でした。イヤホーンをかけていても、声を掛けられたことに気がつき、ふり仰ぐとZさんがどこからか戻ってくるところだったのでした。家庭内の下水管の処理についてまだ3週間ほどで住んだのは良い方で、すぐとなりの番地の人たちは4週間も待機するか、ハンドワーカーに鍵を預けなければならなかったということだった。
 それにしても、彼女が一人で歩いている姿をみること自体がわたしには痛かった。ワンちゃん無しで歩いている彼女をみるのは辛い気がした。そのことをちょっと不完全な形でいうと、彼女はもう犬は飼わないとぽつりと言っていた。それは彼女にはもうそんな寿命もないことも込めて言われていた。


それからスーパーによってコーラを2Lを二本とハンバーグステーキのパックをされたものを買い、サラダ菜とトマトも用意した袋にいれて戻ってきた。
耳もとではMp3が流れている。文学の朗読であるが、外出でもしない限りわたしが聞くことはない。帰宅してもまだ聞いているので、結果としては文学作品を聞いている時間が長くなるのでやはり散歩も良いという結論になる。