蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

もっと自分を律しなければ……

いちど八時ごろに目覚め、道路に雪が薄く積もっているのをみた。自由業で多忙なときには迷惑な雪も、こうして失業中となると、わたしの感覚を優しく包んでくれる。
それから、きちんと寝ていないので、再び寝椅子に横になったが、今度は午前11時ごろに目覚めて、流石に午前中に目覚めてよかったと一安心であった。これが午後だったら、今日一日がもう半分過ぎたという気持ちになってしまうから。夜中には本を読んだり、テレビで映画をみたりとやってしまっている。それも最近浮かんだ短編掌編の構想があるのに、意志が極度にこういう誘惑に弱いのでこちらに捕りつかれてしまって、ため息が翌日にでる。


たぶん、わたしは本物ではないのだろうとおもう。いや、海外などに来てしまったから、そしてこちらの言葉を忘れてはいけないし、磨き続けなければいけないから学習とまではいかなくても、維持するためにテレビやラジオを聴いている、聞かなければなれないという拘束から逃れられないのだとおもう。こうやって日記を書いているこの瞬間もテレビはつけっぱなしになっている。
作家たちは、家族的な環境から創作時間を確保するために、ホテルに宿泊したり、夜中に起き出したりしてもっと大変なことを行っているのに、もっと自分を律しなければならないとおもう。