蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

漫画を描く少年 13 恋慕

 
 恋慕


 同じ地域から通学する関係で、列車も同じであったし、また、漫画研究会創立の時には中伊を嫌悪する動機から茂樹に近づいてきたのが与野と久野であった。それまでは、中学でも同じクラスになったこともないし、言葉を交わしたこともなかった。
 良い作品を作ろうと考えて、図書館にも通ったこともあるが、文学書などは次から次と読めるしろものではなかった。資料を収集する宝庫としての図書館の意義はあるが、そこまで現在の彼は必要とはしていなかった。ただ、名作と言われる作品を読んでみたいと言うのが当面の目標であった。だが、それも最近ではやはり食傷気味であることは否めなかった。
 伝記などを読むと、片っ端から文学書と言わずなんでも書籍を読み漁ったという経験を持つ偉人たちがいる。彼らに比べると自分は濫読をできる器も持っていないようだし、能力不足なのかと、この頃は自己不審を感じ始めていた時期でもあった。
 また、孤独も感じていた。そんな茂樹に与野たちが通学列車のなかで、彼らも音楽をやっていると話した事があった。たまにエレキギターでの演奏を集まってやっているんだということも嬉しげに話してくれる。茂樹と彼らの世代は、ビートルズが解散した後だった。だが、それでもグループサウンズの夢を彼らは追っているようだった。ただ、それほど心底打ち込んでいるようには感じられなかった。


 ある放課後、与野が茂樹に声をかけてきた。ちょうど視線があったから掛けたという感じだった。一人でも多いほうが良いと判断したのかもしれなかった。
 「結城、おまえもつきあうか…久野の奴が寄っていきたいとこがあってよ」
 自分が彼らの仲間の一人のように声をかけられたことがちょっと嬉しく、茂樹はすぐに付いて行った。
 背の低く肥満した毛山と与野と久野と、学生服のまま連れ立って歩いてはいった場所は、海棠市内の駅に近い和風のレストランであった。
 濃紺の布地の暖簾に頭を屈めて並んで入ると、黒檀風の四、五人は座れる木造テーブルが両側の窓際に四っつ、三つと真ん中に通路を作ってセットされていた。まだ一人も客はいなかったが場所が良いだけに繁盛しそうな料理屋だと茂樹は思った。
 こんなところに来てなにをするんだろうと思いながらも茂樹はなにも訊ねなかった。なぜか皆黙っていて、なにも注文もせずに奥のカウンターにたったままでいるのだった。ただなにかを待っている気配だけがあった。だが何も起こらない。
 何か注文しなくては不味いのではないのかと思ったが、そんな気の使い方をしているのは自分だけだとまもなく気がついた。他の三人はこの場所に幾度かきたことがあるらしく、黙って店の奥のカウンターに体を寄せて立っているだけであった。この気配に白い鉢巻で頭を絞った短い髪の殆んど無表情の中年の男がちょっと顔をだし、その彼に久野が小声で何か訊ねたことだけは遠目からも分った。
 十分以上も待つと、とても若いウエイトレスがあらわれたが、彼女も別にこちらの高校生に近づきもしないし、第一見向きもしない。ただ黙って、頑丈で分厚く足の太い黒い光沢のテーブルの上を拭いたり、塩、胡椒をお盆に載せて取り替えるという作業を忙しげに行っていた。一見自分たちとこの女の子は無関係に見える。だが、久野が待っているのは明らかにこの女の子なのではないのかと茂樹は思った。久野がただ寡黙の状態でじっと彼女の姿を目で追う真剣な表情からそう思えた。
 茂樹がこの女の子を見たのは初めてであった。同じ市内の女子高である海棠第二高校に通う女の子なのではないのかとなんとなく思った。着衣しているものが料亭に似つかわしい動き安い短めの焦げ茶色の和服であるし、仕事用にお化粧でもしているのか年上にさえみえる。そして久野だけがこの女性をじっと見つめ続けるのだった。他の二人は窓外に走行する車や、買い物籠を持って歩く中年のおばさんを意味もなく眺めたり、壁にかかったカレンダーのお寺の写真をぼんやりと見あげてその場の気まずい状況を誤魔化しているのであった。誰も何も言わなくても、この辺の事情が茂樹にも分かってきた。そして彼女が完全に久野を無視しているのも理解した。そこの娘は、眼も大きく鼻筋もとおった美女に属するタイプだが、終始きつい横顔をみせて仕事に徹するだけであった。声をかけうる余地は全くなかった。
 茂樹が驚かされたことは、久野のような全くロマンチックな雰囲気もなにも持ち合わせない、そばかすだらけの決して美男の範疇には入らない少年が、片思いをしているという事実だった。