蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

漫画を描く少年 12 茂樹のウイタセクスアリス

                       
 茂樹のウイタセクスアリス


 女の子の存在は茂樹にとってなんであったか。それはせいぜい進展があったとしても手を握って散歩するぐらい、もしかしたら唇をあわせるぐらいなものであって、それ以上のことは考えることもできなかった。いや、それ以上のことは、犯罪に等しかった。しかも、もっとも恥ずかしい性犯罪である。
 ところで、海棠市と玄武町間を列車で通学するメンバーは自分からは選ぶこともできない。
 革紐につかまり列車に揺られていると、考えたこともない話題が露骨に出されたりするのだった。たとえば、自涜行為の話などであった。
 「結城は、夢精とかしたことあるか」
 四妻村から通ってくる小柄な稲垣という生徒が、興味津々と視線も露に茂樹の股間をまさぐるように眺めながら聞くのであった。
 答えなければ、人の話だけ黙って聞いていてずるいと言うことになると判断して
 「ムセイって…ある」
 とどうしようかと迷ったが結局正直に答えた。すると、そこで笑いが起こり、一緒にいていつもそういう話をしている与野が隣の稲垣の肩をどついた。
 「ほうら、俺が言ったとおりだろう」
 茂樹のそんなことも彼らがこれまでに話題にしていたことが分かり、ちょっと彼を驚かせた。
 小柄な稲垣が目の前に立っている彼を見上げて、
 「いいなあ、俺も経験してえな」
 と興味深そうに想像に耽るように視点を床の上に彷徨わせるのであった。
 「おまえみたいに毎夜こいてる奴には無理だよ」
 与野にそういわれて笑っていた稲垣は、再び茂樹のほうを見あげて、
 「じゃ、おめえは、かいてねえの?」
 と本当に驚いて聞いてきた。
 二人の話によると、ああいうものは処理しないと健康に悪いという結論であるし、小柄な稲垣を指してこいつの肌の艶がいいのは毎日頑張っているからだと与野がからかった。
 茂樹にはあまりこういう生々しい話が苦手であった。自分が大事にしている個人的な情報を目の前に吐き出させられたようで気分がよくなかった。付き合い上自分も別に言わなくて済むことを話してしまう結果となってしまった。それがすぐ後で悔やまれたがもう遅かった。


 放課後に市内の本屋に与野や久野、そして毛山たちと入ったことがある。しかしそこで彼らの目的とする書籍は大概エロ雑誌であった。ちょっと来て見ろといわれてある本の文章を読むと、そこにはオラールセックスに関連したジョウクがづらりと書き並べてあった。彼らにとっては性というのはゲームのようなものであり、獣の行う交尾のように捉えているようなところがあった。すくなくともそういう印象を受けざるを得ない読み物しか読んでなかった。
 茂樹にはそういう会話と現実に存在する女性とを関連させて考えることは全くできなかった。
 彼らの言い方を借りると茂樹は性格が女みたいだというのであったが、それがずっと小学生の頃から漫画家志望少年であったことが、彼を普通の動物的な性感覚から逸らせてしまったのか、もともとそうだったのか、それは分析のしようもない。
 彼には逆に、そのように女性を性的処理の対象としてしか見做していない彼らが、汚らわしい存在としてしか見えないのであった。かなりの猥褻犯罪者に近い、いぎたない存在としてしか茂樹には感じられないのであった。


 小学校六年生のときに、いきなり股間をまさぐられそれを鷲摑みにされたことがあった。なぜそんなことをするのか茂樹には不可解であったし、近くに女生徒がいるのにそんなことも構わずにそういう破廉恥な行為をする動機がまったく理解できなかった。  
 やるものの動機は明らかに卑しい。が、その被害者の自分も不本意にその恥ずかしいアクションの仲間として無理やり引き釣りこまれ、妙な情景を形作らされたことになる。
 大抵、後ろからいきなり屈んで人の性器を握るので、茂樹としても防ぎようもない。茂樹にはそんなことをして、そんなものを掴んで何が面白いのか、その理不尽で迷惑な行為がまったくのナンセンスであった。
 ただ「こいつのでっかい」などと言われたときに、ふと近くにいてこの奇妙な悪戯を目撃する女の子がいるのに気がついて、ちょっと救われたという気持ちになったこともあった。もしこういう破廉恥な少年たちに「こいつのちっちゃい」とか女の子たちの前で叫ばれたりしたらそれこそ二重の被害と言えよう。
 この馬鹿げた悪戯にちょっと興味をもったのは、それからずっと後のことだった。海棠一高で綺麗な少年を見て、実行には及ばなかったが、ふとそういう同じ様な衝動を茂樹も覚えたことがあった。
 統合中学校に入ってからも同じことを、しかもほとんど見ず知らずの生徒からされたことがあった。やはりそういう行動は迅速にしかもなんの前触れもなく行われ、茂樹はたいてい不意を衝かれて犠牲者になってしまっていた。
 その他に、何も予期せず、無防備に佇んでいるときに、背後から尻の割れ目に思い切り、合掌でもするように指先を合わせ尖らせた両手を突っ込ませてくる悪餓鬼もいた。そんなときの痛みは大変なものでフローリングの固い床を茂樹も転げまわったことがあった。そいつはそんな茂樹を見下ろしながら
 「転げまわるから痛いんだよ」
 と軽蔑するように罵ったものだった。中学生なのに額に深い皺もより、瞼も分厚くて中年のおっさんのような顔と雰囲気を持つ子であった。そいつが小柄ということもあり、腕力では負けないし復讐も考えたが、痛みも消えてみると、同じようなことをして仕返しする気持ちには一向になれなかった。


 中学校三年生になって、周囲でなにか合図のような掛け声があったと気がついた途端、たちまち茂樹は手足を数人によって取り押さえられたことがあった。
 首領格の屁川が指示して、その中で彫が深い顔つきからドイツという異名をもつ平田が手を伸ばし、茂樹の性器をズボンの上から鷲掴みにしてしつこく揉むのであった。それはこれまでの掴んでは満足して離すのとは異質な性格の行為であった。その時の執拗な掴み方は時間的にも異常に長く、何かある目的を伴っている気配があった。それがなんであるのかこの時の茂樹には分らなかった。体を動かし捻り、手足も引っこ抜こうとするが、がっちり四肢が握られて身動きができない。それを何度か繰り返すが彼らはよけいに面白がっているところがあり、それらの顔には笑顔と好奇心のようなものが溢れていた。
 平田のその行為をするときの表情も異様であったし、伸縮させる掌の反復もなかなかやめようとしないのであった。これまでの、彼の知る辱めとは質を異にするものだと予感した。それでも手足を四、五人の生徒にしっかり抑えられている茂樹は逃れられないでいた。まだ茂樹には彼らの目的などは想像もできず、彼が一番心配したのはチャックをあけられて、ズボンからピンクのそれを掴みだされて、そのままの恥ずかしい姿を女性徒の前に曝け出されることであった。ただ、彼らの目的はそんなものでもないらしいことがもがいて逃れようとしながら思った。
 そのうち「しぶとい」とか「なかなかだな」などと囃し立てて笑う声もあり、繰り返し彼の股間をしごき続ける手が交代された。どうもそこら辺に彼らの目的があるらしいのを感じ始めて、未知の不安に徐々に襲われていった。そして足を押さえている生徒が妙な笑顔で彼を覗いていて、そのうちにこれまで彼が経験したこともない妙な気持ちが下半身から高まってくるのを覚え、尿意を催してきたのだと茂樹は恐れた。それはこれまで知らなかった感覚であった。茂樹は体の異変を感じて、本気で止めろと叫び、騒ぎだし、手足に猛烈な力をこめて暴れ始め怒鳴り声をあげた。さすがにこの反応に彼らはうろたえ、興醒めした様子で悪餓鬼たちもやっと彼から手をひき開放してくれた。いかになんでも殴られたりはしたくなかったのであろう。
 「和助にもやってやったのに」
 いかにも面白くもないという白けた、あるいはきつい眼差しを投げて彼をそこに置き去りにすると、彼らは教室に戻っていった。茂樹はそのままコンクリートの床の白い埃にズボンを汚したまま座り込んでいた。今起こりつつあったことが分らなかったからである。           


 数日後のある夜、風呂桶の傍らで石鹸を使い体を洗っているときに、あの時の奇妙な、実を言うと快ささえ予感させるような感覚は、しかし、ある種の越えてはいけないどこかタブーな感覚はなんだったのだろうと思い出した。普通に汚れた体の一部として性器を触り泡立てた石鹸で洗っていたが、茂樹は彼が暴れてそれ以上させなかった、その先の更に後の感覚はどうなっていくのであろうかと思い、いつしか自分でもされたようにその部分を一緒に揉み始めていた。やがてあの時とほぼ同じ感覚が高まってきてしまい、驚いて手の動きを止めたのだったが、もう遅かった。もう未知の禁忌な領域の境を超えてしまったのだった。タブーを犯してしまったと思った。茂樹は初めて射精という現象を体験してしまったのだった。
 彼の意志とは無関係に独特の起動に従い、下腹部から痺れるような罪深い快感を伴いながら痙攣が繰り返され、それが噴き出されるのだった。同時に彼の鼻腔には、切り裂いたばかりの鮮度の高い若竹のような匂いが強く拡がった。茂樹はその粘っこく不透明な液体をおずおずと、しかし冷や汗をかく気分で見詰め観察しながら、取り返しのつかないことをしてしまったと思い不安を感じるのだった。中学三年生の茂樹はこの時、大変な罪の意識に襲われていた。そして掌に溢れでたその液体は、指の間から零れ、胡坐をかいていた彼の太腿を舐めて黒い板木に滴りやがてコンクリートの濡れた床に垂れ落ちていった。
 硬くなったのは小学校四年生あたりからだった。それが授業中でもどこでも、特にクラスで綺麗なので有名な女の子を見ただけでそうなってしまいまともな姿勢で歩けなくなり困ったことがあった。が、それがこんな結果になり大変なことをしでかしてしまったと思った。こんな生理現象は誰とも話したことがなかったから、こういうことが起こりうるのもしらなかった。これはたぶん何も知らずに初潮を経験して自分が死ぬと信じる女の子と同じ驚きであった。
 しかも、まだ硬直しているその皮膚の下かどこかに得体の知れない異物を感じ、パニックに陥りそうであった。なにかがそこの皮下、もしくは中に潜むように留まっていて流れ出てこないのである。それはなんとかすぐに処理しなければ重大なことになりそうな類のものに感じた。
 なにか応急措置でもすぐにしなければならないと茂樹は焦燥に駆られるのだった。彼は根っこから更に亀頭に向かって握った右手に力を入れてその中に居残っているものを絞りだそうとした。
 まもなく同じ様な匂いに嗅覚が包まれ、半透明な膜が一体となって掌に温かく流れ出てきた。
 それは水の温む春の池などに、水生植物の緑の葉の間に帯状に浮かぶ、不透明な蛙の卵を覆う膜にも似ていた。やがて半分以上が指の間からとろりと手首や脹脛を伝って流れ、黒い板張りの隙間からコンクリートの床に蛇行していった。
 茂樹はこの淡く薄い粘着糊のようなものはなんなんだろうと恐れた。大事な自分の体の中の、彼が名も知らぬ臓器の一部ででもでてきてしまったのだろうかと思って怖れた。
 やはりずっとあとになって、それもまた女の子にとっての処女膜というものと同じようなものなのではと考え自分なりに解釈し納得した。それはその後の自分の体に支障が全くなかったからでもあった。ただ、この自慰行為をその後にしたことは高校生になるまで全くなかった。そして夢精するぐらいこの行為は怠っていた。罪悪の意識があまりにも強かったせいもあるし、たまたまあのような禁忌を犯しても何もその後に異常がなかったことを彼は僥倖だったのだと判断していた。次回からはどういうことになるのかはなんの保証もないと思った。またそれ以後も誰ともこのことに関して話すことも相談することもなかった。これに関係する本を紐解くようなアイデアも浮かばなかった。茂樹は性に関しても晩熟であったし大人しい少年であった。漫画のことしか頭にはなかったのだ。