漫画を描く少年 9 月刊誌に投稿して
月刊誌に投稿して
元の木阿弥の独りの状態になった茂樹は、すぐには帰宅の途につかず、校内の図書館にもたまーに通うようになった。ケント紙一枚一枚に大変な時間が捕られてしまうので、よほどその内容である案が素晴らしいものでなければ描き出す意味がないと悟っていて、どうせ時間をかけるのなら原案が飛び切り素晴らしいものでなければならないと結論した。そのためには知識を蓄積しなければならないとも思った。それは幾つかの漫画家入門という本にも紹介されてあるとおりだと、やはり彼も納得し信じていた。
だが、彼が手に取る本は大体歴史に関する本であった。そして、読むそばから忘れたし、忘れるような気がした。いつか遠い未来に使用するための知識の集積というのは、やはりそれほど熱中できないし、意味があるのかどうか疑問が生まれてくるのであった。
図書館のテーブルに座を占めても、開くページの文字は頭に入らず、やがて倦怠感が彼を襲うだけという感じになった。やはり作品を作り上げるために目を皿にして必要になってきた資料を色々と読み漁るのと、漠然と今後のために役に立つことを想定して読むのとでは読書時の燃え方、時間の充足感が全く違っている。やはり最初に案やテーマが必要で、それから資料漁りの図書館という順序だと思った。
そういう不完全燃焼を続ける不満と欲求を持った彼の視界に、高一コースや高一時代という月刊誌が映った。図書館の入り口近くに金属製の柵でできた本棚が特別に新刊本や週、月刊誌用に設置してあった。
自分と同じ学年を意味するタイトルがついているだけで、同世代を捉えた鮮度の高い内容が盛り込まれているような気がして、手に取ってみた。
漫画研究会が立ち消えに近い状態になっていて、ある種の慢性的なストレス未解決の状態でいた。そんな茂樹の目に触れたのは「四コマ漫画募集」という欄であった。彼にはこの『募集』という言葉が黄金の眩しいオーラを放っているように見えた。漫画を描くのは十枚でもへとへとであったが、思いついた案は中学生の時から書き溜めているので、そのなかから選んで四コマ漫画を作って見ようと思い立った。
思い浮かんだ案をメモするときには、ボールペンやシャープペンを持つ手が震えて、書きとめるのが間に合わないほどでもあった。そのときの興奮は、自分がこれまでにない物を生み出し創造している、何よりも生きているという充実感の味わいであった。たぶんそれは賭け事に病みつきになっている人たちと同じような至福状態ではないかとも思えた。
茂樹はひとつここで兆戦してみようという気持ちになっていた。
彼が作ってみた四コマ漫画は、これまでにメモしてきた案の中から選んだものではなかった。こういう案というのは、思いついたときには最高のものだと思えるのだが、あとで読み直してみると、全く興奮し感激しながら書いたその炎は大抵消え失せてしまっていた。ほとんどの案はつまらないもの、たいしたものじゃないなぁと落胆しながら読み直すのが常であった。
四コマ漫画にしたら必ず良いものができるという案は、喜びとともに書き記してきた三冊のメモ帳のどこにも見当たらなかった。例によって、案を興奮して書きとめた自分と、それを読み直す自分とは全く別個の人間でもあった。
そんなとき、生物の時間に教科書を捲っていて、ふとある言葉にひっかかった。それを骨組みにして作ってみたら面白いかもしれないと思った。再び茂樹は興奮に包まれ、情熱と一つになって一気呵成にひとつ描いてみた。出来上がるとすぐにその四コマ漫画を雑誌社に送った。できたものをいつまでもおいておくと必ず自分の目に陳腐な作品として鮮度も興奮も消えうせて見えてくるからである。できたらすぐに送ってしまう。目の前から追放する。それが一番精神衛生上いいのだと茂樹は思った。
そして翌月の雑誌を手に取り期待を持ってぱらぱら捲ってみたが、どこにも彼の四コマ漫画は見当たらなかった。諦め悪く、それを二度ほど更に繰り返してみたが、やはり見当たらなかった。次の月の雑誌にもまったく見当たらなかった。
二ヶ月も経って、もうその投稿した作品のことは諦め、忘れていた頃だった。
下総一高に通う亀彦という綽名の、一学年上の近所の生徒から突然の訪問をされた。重そうな太い黒縁の眼鏡をかけ、レンズも彼の眼がかなり縮小してしまうほど分厚いものをつけていた。そして小太りなので足も短くみえた。だから亀という綽名が本来の名前についたのかどうか分らないが。中学生のときから目的の大学も決めている勉強熱心な少年だった。
「おい、おまえの描いた漫画が本に載っているぞ」
「……俺の描いた漫画が?」
「おまえじゃないのか? おまえしかいないだろう。ちゃんと茨城県海棠一高、結城茂樹とでてたよ」
「あっ、それは四コマ漫画のことじゃないのかな」
「そうだよ。なんだと思ってたんだよ」
続いて亀彦の笑い声が高鳴ったが、彼の声にはやるじゃないかと言う感激が感じられた。それまで大したことはないと彼を見下していた同じ中学の先輩が、見直したぞという口吻で報告にきたのであった。
翌日、授業の合間に急いで図書館に向かうと、その高一コースの置いてあるべき場所に視線を投げやった。その月刊誌はごく普通の状態で六種類ほどの雑誌の入る金属製の本立てに、背中を持たせるようにして置き忘れられてでもいるように、普段と同じ場所に見えた。誰もまだ手に取ることもなかったようで、汚い指紋も折り目もなく、新品同様の状態であった。
亀彦が自分をからかったのかもしれないと茂樹は訝った。だが、彼は震える指を冷たく硬い檻にぶつけるようにして分厚い本を左手で掴むとすぐに目次を見る気持ちの余裕もなく、右手でぱらぱらとページを捲りだした。
意外とすぐに見つかった。短い栞のように、適当にほかのレポートの間に縦に印刷してあった。自分が描いて送った四コマなので内容は熟知しているが、手書きの台詞の文字が小さくなってしまっていて、これで読者は理解できるのだろうかとその効果を疑った。編集者が理解して掲載してくれたのだから別にそれでもいいのであるが、実際の大きさよりも印刷が縮小してあるので読みずらく、文字の解読が難しいのではと思った。四コマのなかにいる主人公の台詞が読めないと、この漫画も理解できないはずなのである。
休憩時間が終わるまで、誰にも言えずにずっとその場に佇んだまま何度も起承転結の四コマを読みなおし、絵の具合を矯めつ眇めつ眺めるのだった。
その日は学校内で女生徒と少しでも視線がぶつかると、この高一コースのことで茂樹を見たのではないのかと勝手に思った。いい気な物で急に彼女たちの視線が自分に照射されてくるような錯覚も覚えるのだった。
その日の放課後、海棠市内の繁華街の書籍店に足早に入り、少ない小遣いからこの月刊誌を買って大事に抱えて帰途についた。
帰宅した彼を驚かせたのは、奇妙に顔が強張る母から渡された、二通の手紙であった。濃い紫色と普通の白い封筒であった。送り主を見るとどちらも見知らぬ女性の名前が記してあった。一通は生徒会長を務めているという女の子からで
「仲間が三人いるけれども、どの子に聞いても理解できないという結果がでました。どういう意味なのでしょうか。できれば教えてください」
という要求であった。もう一通も良く理解できなかったという女の子からの手紙で、やはり解説を求めていた。そして更に四五日後にもう一通手紙が来るが、それは文通したいという内容であった。
掲載された作品は『突然変異』というタイトルであった。そこにどのくらい岩本玲子への思いがこめられていたのかは、はっきり意識してはいなかったと思う。
起承転結の最初の三コマまでは時代がそれぞれ違うが明らかに同じ家系出身とすぐにわかる容貌の若者が、やはり同じ家の家系と思える容姿の娘と一緒に描かれているのだが、デートの申し込みを断られているシーンが続き、つまり起承承と続けたのであった。そして、四コマ目は同時に転結の意味を込めた。これまで祖先をふってきた娘と同じ顔の、しかし服装は現代風の女の子が明らかにその子孫と一目瞭然と分る若者を、愛をこめてうっとりと見つめる姿になっているのである。そして若者はぼんやりと「突然変異かな」と呟いているシーンであった。恋愛の逆転劇であった。
例によって描き終えた直後には傑作が描けたと有頂天になった作品であったが、あとになればなるほど、もっと工夫はできなかったのだろうかと不安になった四コマ漫画であった。
このことを池沼には自分からは言えなかった。なんだか自慢しているような雰囲気になってしまうからである。漫画のことをもう何も言わなくなったし視線さえ合わせようとしない中伊には、もちろん違う意味で何も言う必要はなかった。
翌日になると古典の女教師のもとに見せにいった。やはり誰かには見せたかったが、漫画に一番近い科目は数学でも物理でもなく文学である。だから古典文学の授業を担当しているまだ二十代前半の女の先生に見せにいったのであった。現代文の初老の教師のことは頭になかった。その授業がやはり興味が持てなかったということもある。誰かが指されて朗読し、難しい漢字が指摘され、あとは作家に関してのスキャンダルなどのエピソードなどが得意げに話されるだけであった。そんなことは文庫本の後ろに書き記してあることで、読めば誰でもわかることじゃないかと茂樹は彼の現代国語の授業には常々不満足であった。教科書に掲載されている文学作品のどこが素晴らしいのかその秘密を解くコツを教えてくれるような授業ではなかった。図書館の棚に文学作品鑑賞という書籍も揃っていたが、茂樹の能力不足ということもあり、すぐに退屈を覚えてしまうので、授業中に教師の口から教えてもらいたいという期待があったのだが、それは見事に破られていたのだった。惰性で授業しているような教師だったのである。
古典の女性の教師はその授業の取り組み方がまるで違っていた。ただ、残念ながら古典の文章が自分の漫画にプラスになるとは全く思えなかったことだった。だが、平安や鎌倉時代の雰囲気への憧れを茂樹に植え付けてくれたのはこの仁平先生だった。もちろん笑顔で親切な生徒との融け方が茂樹には好ましく思われた。
彼女は高一コースに掲載されていたことをすでに知っていた。
「ええ、結城君の漫画のことは女の子たちから聞いていたわ」
茂樹はこの意外な仁平という女教師の言葉に二度驚かされていた。彼女が知っていたということ。また、学校内の女生徒の話題にもなっていたということがやはり意外であった。いつから彼女たちは知っていたのであろうかとも思った。少なくとも茂樹が雑誌の掲載を知る前に彼女たちは知っていたことになる。そして彼は彼女たちの同学年の間では急に有名になった自分への視線や注目を、全く昨日まで、感知することもできなかったということになる。
自分の感覚もたいしたことはないなとちょっと落胆した。落胆と言えば自分の作品を理解できなかった同学年の子がいるということもそのひとつで、思わずそのことを話した。
「あたくしにはすぐにわかりました。ロマンチックで良かったと思いました」
そのコメントで、仁平先生も実際にすでに読んでいたことを知り驚かされた。ということは彼女の近くに存在する女生徒が実際に持ってきて見せたということになる。自分の知らないところで勝手に周囲が動いていることに少し不思議な感覚を持った。
遅れて、玄武町から常総線で通う与野や久野に、
「おい、やったじゃないか」
と肩を叩かれた。
池沼はと言えば遠くから茂樹を落ち着いた内二重の横長の目を注ぐだけで、まったく触れてはこなかった。ただ、いつものどこか考え観察しているような表情があるだけだった。
それから二ヶ月もして、また亀彦から連絡が入った。
「おまえんとこは凄いな、また、載ってたぜ」
「どこに」
「漫画だよ。ちゃんと海棠一高の生徒ってかいてあったよ」
再び高一コースに誰かが描いた漫画が掲載されたらしかったが、それは茂樹にとってはショックであった。誰の仕業だろうと思った。不思議なことに彼には皆目見当もつかず顔さえも浮かばなかったのだった。
同じ『漫画研究会』に名前だけ連ねたほかの二人の可能性などもまったく思い浮かべもしなかった。
図書館でその記事を探すと、漫画の一コマが、つまりカットが掲載されていた。海棠一高池沼と記してあった。いかにも永島慎二風の漫画がひとつ小さくページの隅に載っていた。
「ううん、カットときたか」
と彼は唸った。カットだったら四コマ漫画よりも速く描けると茂樹は思った。思わぬところでしてやられたと感じた。
本来ならばカットなどよりもやはりストーリー性のある漫画、少なくとも四コマ漫画でなければやる意味がないと思っていたが、池沼の作品が載ったことで何枚かのカットを描いて茂樹は投稿してみた。
すると再び亀彦から
「また載ってるぜ」
という連絡が入った。亀彦の情報は迅速であった。自分のカットだとその時は思った。
「この間と同じ奴の名前がでてるよ」
それは池沼ということになる。
「そうか、池沼はあれから更にカットを送り続けているわけか」
ここで自分のカットではなく彼のそれが選抜されたことにちょっとした敗北感を味わった。
これだけ続けて海棠一高から同じ月刊誌に載ってしまっては、もう珍しくもなんともなくなってしまった感じがした。最初に載ったときには学校内でも話題にもなったはずだが、このように池沼の漫画カットが続けざまに掲載されてしまうともう掲載されること自体の価値は薄くなってきた気がした。おそらくクラスメートたちも同じように受け止めはじめるだろうと思った。
「無価値化されてしまった」
そんな言葉を茂樹は何度も頭の中で噛み締めていた。
池沼と視線があうことが偶然あっても、お互いにそのことには不思議と触れなかったし、言葉を交わすこともなかった。交わさなくても、自分たちの間には会話がもう交わされていたような気持ちさえしていた。彼らの間にはまさに以心伝心という禅宗の言葉がリアルに介在していた。
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