蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

北條民雄の『命の初夜』を読む。胸から血が流れそうだった。

こちらに日記を書くのは、あくまでも公表用というもので、泥臭い感想を綴った文は別につけている日記がある。もちろん、そちらのほうは私が死ねば、誰にも読まれず発見もされずに子供もいないこともあるので消滅してしまうのだが、わたし自身も同じく、日記の消滅とともに消えるという感じだが、それはやむをえないかもしれない。
唯一私も日記も消滅しないようにするためには、すべてこちらの日記に書きなぐるか、有名人になるかということになる。


 ところで、北條民雄のこの作品はずっと以前から読もうと思っていた。読まなければならないものと思っていた。この年齢になって読んで、彼が20代初期に執筆し、23歳ではすでに子の世の人ではなくなっている。
 伝記を読んでないのでくわしいことは分からないが、日本の占領か時代のソウルに生まれ、やはり若くしてハンセン病に罹患し、それが理由で離婚。また、この病気になっても長生きはできるのに、腸結核で死んでしまうという、なんと不幸な運命な人なのかと神を呪いたくなるほどだ。


こんな不幸な人があっていいものかと思う。だからこそと言っては酷いことになるが、それであのような普及の名作が執筆できたのか?と思ったらやはり間違いだろう。
 彼の文章のリズムも会話や地の文、構成も綺麗だし見事だとわたしは感心した。みずみずしいとさえ言いたい。・・・・あまりにも酷い運命だ。


 日本文学全集で名作集というのをわたしは古本で持っている。そこに読むべき彼の作品があった。合計27名の作家の作品が紹介され、写真もずらりと並んでいた。だが、写真は26葉しかなく、掲載されてなかったの作家は北條民雄だった。ハンセン病だったので紹介されないのか、あるいは本人も実名は生前公にしていないように、写真も同じことなのかと思ったがネットで画筆で探し当てえた。


青空にも他の彼の作品が公開されている。・・・・ただ、ショックから立ち直れなくて、さらに彼の作品を読もうという膂力がまだない。ごめんなさい。ちょっと立ち直る時間を欲しい。