蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

イースターマンデーの翌朝、スーパーの途中で

じつは翌朝という漢字がよくあさと読むのを知ったのは、明確にしったのは、ネットを見てアナウンサーの声を聴くようになってから。それまでは「よくちょう」と黙読してました。苦笑。


通常、文学書でもなんでもこんな簡単な感じにはかななど振ってないもの。それで地名は別として、難解と見なされる漢字などはわけなく読んでましたが、かなのふってないものは自己流でどうも読んできてしまっていたことを知りました。


三島の「午後の曳航」をわたしの知己の人馬鹿大将、わたしが今日改めて名づけてみた実在のキャラクターですが、彼はわたしが「……えいこう」と無防御で引き合いに出してみると、いかにも爽快につきるという嘲笑を放ち、「ひきふねと読むんだよ。しょうがねえな、日本語が出来ない人は」と呟いたものだった。


わたしが異論を唱えても相手にしてもらえず、また、次には安岡正太郎の『海辺の光景』も普通に(かいへんのこうけいと取り上げて話し出すと、すぐに大笑いをはじめ、「うみべと言うんだよ。そんな言い方、聞いたこともねえ」といかにも嬉しそうでした。

この時にはわたしもスマホを持っていたので、すぐにまだ彼の人を小ばかにして気持ちよさそうに優越感に浸っている嗤いがまだ続いている最中に、画面に呼び出し、証明しなければならなかったものでした。わたしのノートパソコンで書き出しても「改変の光景」としかでてこない始末ですが、安岡さん、うみべでよかったんじゃないですかと私もお願いしたい。
本題から大分離れてしまいました。


今日は四月の七日。なのに桜がまだこんな状態ということをここに書き記したかったのです。余談になってそれていってしまいましたが。まあ、それも良かったかもしれません。