蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

会場の1日と、懇親会

仕事場では、ドイツ人、あるいはドイツ語を話す人とわかると私が担当させていただき、通訳をした。日本のこの地域Hに人を集めツアーを作って、行きたいというジャーナリストが最初にふたりきていて、そのうちのひとりは自分自身がスキーとか粉雪の美しいHの雪原でなんども行きたいという個人的なモチベーションもあるので、積極的に腰いれしていると豪快に笑っていた。
 それから、すでにKのほうではN市からホテル宿泊代とか保障されているし、Hからも出して欲しいというジャーナリストがいてこちらを驚かした。連絡がきたのが大変遅く三月になってからということもあり、難しいということであったが、モーターバイクファンの雑誌のライターでもあり、読者は10万人ということでもあるし、他の雑誌にも執筆し撮影もして寄稿しているというS.burg氏であった。彼があまりにも悲しがっているので、急に手配するのは大変難しいけれども二泊ぐらいのホテル代はこちらでだせるように努力したいと日本側は答えていらした。
あとは、ドイツ語を話せるし、この会場にビジネスで来る人で英語の出来ない人はいないので、もう英語で他の方が会話を始めてしまった場合にはやむなくその人のための通訳は技痒を感じながらも傍観するという結果になってしまった。
店をしまう最後の時間帯にイスラエルの人がきて、午後六時以降もでられなかった。この日は懇親会という予定が19時にあった。


 ほぼ時間通りにわたしたちはHM駅の鉄橋下レストランに到着し、予定の時間にきていない人が多いのに驚いた。時間をみなさんまもらないということに驚かされた。また、スタッフのSさんが電話のイメージとは全く違いすらっとした美女であるのにも目を瞠った。信じられなかった。
 子牛のシュニッツェルを食べ、会話がいろいろと弾み、帰宅したのは23時15分であった。ビールを一冠飲んで寝た。
 午前2時45分ほどに一度目が覚め、再び横になって7時前に起きた。目覚ましの少し前にたいてい目が覚め、今朝もそうだった。
 トランプとキムジョンウンが合うという話をラジオで聞いた。‎2018/‎03/‎09 07:42:09