蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

神の試練

 仕事仲間というか、あちらはライバルとしてしか私を見ていないが、その男が例によってぎりぎりの時間にホテルに入ってきた。前からロビーを歩いたり座って時間をすごしているスーツの二人の男の客が二人いたが、たぶんそれだと思って、すぐに彼らを指差して所在をしらせてあげた。そのまま彼らは話し始めた。
 わたしは自分のお客様のためにやはり立ち続けて待っていたが、親子ということもあり、降りてこられたのは本当に時間が過ぎてからであった。交代すればちょうどミートの時間はよかったのかとも苦笑した。
 賭博をやろうとおもってからは気持ちも大きくなったせいか、この背の高い男が遅れて入ってきてその姿をみせてもほとんどなんの感情ももたなかった。逆に安心したぐらいである。それは、まだこの男は私がやろうとしていることを行っていないのではと思ったからである。でも、まだでだしなので二束の草鞋を履いているのかもしれないとも感じたが。


 銀行の口座に亡き妻の名前を残しておいた。それが今日になって、彼女の亡き後にわたしが財産の半分は奥さんのものだと銀行が電話して私を驚かせた。こんなこともありうる科とは思ったが、しかし、すべて彼女が去ったあとで溜まってきた財産なので、こんな馬鹿な主張がきたときにはちゃんと証拠があるし、でてくると考えてきたが、肉声で言われてみると、不安が忽ち募ってきた。
 金庫に入っていた全財産を盗難されただけではなく、あれから五年もたって貯蓄してきた財産もこの犯罪者のもとに行ってしまうのだろうか思い、非常に腹立たしくなった。
 世の中に正義とか公正というものはないのか、あるいは神の試練と思い、諦めるべきなのか。ものにあたりたくもなったが、それも子供っぽいことなのでやめた。‎2018/‎09/‎21