蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

太宰治が女性の日記を利用していた。本当に彼は才能ある作家であったか?

本当は日記を書いている気持ちの余裕はなく、これから入ってくれた仕事のために二時間後には家をでなければならない。今日の天気予報は霙、雨で、靴も滑らないものをつまり履きなれたよれよれのものを使わなければならない。心配なのは暫く喉をつかってもいないので声が出るかどうかでもある。・・・ということで、再び日記を書こうとして、なんのために書きたいと時間がないのにはじめた理由を忘れてしまった。アルツハイマーかとも思える。だったらもちろんそうなる前にこれまで執筆したかったことを完成させなければならない。


思い出した。やはり太宰治についてです。ここでです調に変わりますが、匿名、でも公開の日記であることを再び思い出したからです。
三島由紀夫は太宰治を嫌悪している。ところが現在の私たちには彼が他の場を借りて話していることもネットで視聴することができ、彼は太宰の才能を大きなと褒めているインタヴューをわたしは見た。わたしが十代後半の頃に、彼の全集を図書館で一部借りて、とても市販されているものは買えない評論とかインタヴューを読んだことがありますが、テネシー・ウイリアムズが太宰治を褒めるので、三島もやむなくという感じでそれを、太宰の才能を認めたという読後感をもったことがあります。
 しかし、この両大家の知らなかったことを現在のわたしたちは知りえています。それはなにかと言うと、太宰治がすでに書いたように、彼の代表作にあたる『女生徒』や『斜陽』の原文をファンや情婦(では可哀想なので、ここでは恋人と書いてもいいと思いますが)の日記などから拝借していることです。それも80%も。これでは女の立場からみてどうやって太宰は書けたのだろうと、からくりを知らない三島たちが驚くのは当然かと思いました。それでも太宰を圧倒的に肯定してやまないファンはたくさんいらっしゃるでしょう。日記やメモから文学作品に仕上げたのだから素晴らしいじゃないかと。
 ただ、そういうことをされてしまうのが恐くて日記のネット上の公開は避けてきた、と、それだけをここで言いたい。もちろん、お前なんかの日記を誰が文学作品のために利用するんだと一笑にふされるのはもちろん当然でしょう。ただ日記はやはり個人にとってかけがえのないものです。もちろん、それならそれで書かなければいいじゃないかと太宰に言われそうですが。また、ファンからは猛烈な攻撃を受けそうですが。6:11:49