蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

『たた一旗揚げたくて 第一部 日本にいた頃』『短編 日本とドイツの狭間で』等々

自分のためだけに書いてきた日記。しかし、自分が倒れたら、また、姪だけには送って死後もあまり意味がなくても管理してもらい、いつか姪たちの子孫たちに興味をもって読まれることもあるのだろうと、それだけを想定して、あとは本当に自分の相談役としてこの日記を書いてきた。でも、それではこころ細いので公開というこのムラゴンさんの場所を借りてスタートしたのが四日前であった。もう四日前にもなる。とにかく人生過ぎ行くのが早いなとまたおもう。
ただ、姪にと言っていけれども、姪も私の兄弟も私が日記をつけているということはもちろん誰もしらない。なのに、姪を計算にいれているのだから、救えない引っ込み思案、内気、あるいは用心深さということにもなろう。だいたい叔父であるわたしが存命中に自分の姪に日記をとっておいてほしいという気持ちで送る人はいないでしょう。なんのためにとっておくのと聞かれそう。。。


起床してさきほどはすぐに十分間ほど時間をかけて日記を書いた。それだけでは足りなくてまた日記を今書き始めたのであるが、なにを目的で書いたのか忘れつつある。が、また思い出した。


わたしの書きたかったタイトルだけでもここに記したい。おお、山月記のリチョウの悲しみっぽい響きが伴ってきてしまっている。


『たた一旗揚げたくて 第一部 日本にいた頃』『短編 日本とドイツの狭間で』『ただ一旗揚げたくて 第二部 日本レストラン』『ただ一旗揚げたくて 第三部 ユースホステル』『キュスヒェン』『離婚の子』『来夏物語り』


もちろん頭のなかでは構想はもうできているし、殆どが第一草稿らしいものを書き終わっていたり、中途でそのまま傍らに放置しているという状態であるが。


ニューヨークの作家のひとりがインタヴューに答えて、今なにを執筆しているかという質問であったが、なにを書いているかではなく、なにを書き終わったかを聞いて欲しいと答えていた。書いている作品は百万作はあるだろう。しかし、書き終わったものは僅かであると。