蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-08 木曜日

2024-02-08 木曜日


 グリーンブック、日本人と韓国人物語はどうか。
 でも、グは現役で差別が行われているアメリカ南部演奏旅行の話で、最初はドライバーのイタリア人も差別感情を持っていた。
 だが、日韓はどうかというと、韓国人が過去の怨みを日本人に抱いているが、日本の今の若者も中年のものもあまり近づかない方が良いみたいだとは思っても差別と言う感情はもってない。むしろ、理由のない敵意を持たれて迷惑と戸惑いを持っていると言うのがベースになる。
 では、そこをベースに置いた日韓の話はどう展開されるべきか。
 そこにはネオナチとかイスラム過激派とかが登場する必要があるかと思う。
03:41 2024-02-08

2024-02-07 水曜日

2024-02-07 水曜日


 1時間半ほど眠れたかもしれない。腹水の圧迫で呼吸困難のために睡眠を諦め、ベットから降りたのが午前3時だった。
 そのときのわたしの頭のなかでは、ユースのシェフィンがわたしがパリに行っていたことをしり、パリ―!と声を立て羨望の眼で私をみたこととか、マレーヌとのことが頭のなかで展開しだしていた。それに関係して自転車でウルツンの街中にわたしが午後には出て行ったりしたことや、マイケが彼女がいなくなって淋しい?とわたしに洗濯物の棚引く緑の庭に座りながら訊ねたことなど、はたまたDがわたしと前の晩にキスをし、翌日の出発の朝に、
 「なぜ、部屋に来なかったの?」
 と思いがけないことをわたしに言ったことなどが妄想のように頭のなかで展開していた。
04:36 2024-02-07


 自分の、出血多量後と、緑茶とコーヒーの多量摂取の成り行きから貧血、結構重度の貧血症状に生まれて初めて見舞われ、薬剤を嚥下するようになってから、気持ち恢復がある程度できたと思った。だが、実際に歩けるようになったかというと、あたかも足腰に力が籠っていないような、鳩尾や下腹部に力がはいらないような体力でしかない感じが続く。
 こんなではいけないのである。少しづつでもコンデションを恢復しなければならないのである。そのためにはスクワットはもちろんのこと、積極的に外出して自分の体調をなんとかしなければならない。次の仕事のチャンスまで20日間である。こんどはI村に回してやってもらうわけにもいかないと思う。そんなことをやっていたら、旅行会社から最初から仕事も入らなくなるだろうから。


 でも、やはり幾度も徒歩中に立ち止まって休まなければならなかった。これは非常にまずいことだ。でも、なんとか体力を付けなければならない。
 緑茶やコーヒーももうすでに5日間近くは飲んでない。ビールが悪いかどうかしらないが、多くても一晩に一本と言う感じになった。
 ノンアルコールビールが認知症予防に良いとYTで紹介されていて驚かされた。これからは飲むとしたらそれだけに絞ろうとおもっている。


 ルードー駅のエデカに足を運んだもうひとるの理由は、そこにいけばケンタッキーフライドチキンは売ってなくてもホットウィングㇲはあると見越してのことだった。冷凍のほうれん草も2個買った。生のほうれん草は一晩水につけて押し洗いをしようとしたらぐちゃぐちゃにすでに異臭も漂わせて腐っていた。冷凍に限ると思った。
 瓶入りのホットドックも2,99から1,99に特別に値下げされていたので買った。だが、レジのレシートをすぐにレジから離れた後でみると、2,99取られていた。戻って抗議しようかと思ったが、悪いのはレジの中年女性ではなく、別の者で、レジに並ぶ買い物客の顰蹙も買いたくないのでそのまま1ユーロを諦めて出て行った。
 ところで、先週の金曜日にも同じようなことがあった。生のほうれん草が1ユーロという安さであるのに、2,49取られていた。2袋買っていたので、レジにこれは言おうと思って、買い物袋を2つ下げて再びエデカニ入って行った。普通ならば、パンパンに膨らんだ袋を下げてスーパーなどに入りたくはないし、しない。不愉快な疑いをもたれる可能性があるから。だが、この時には腹が立っていたので、つまりまたかと思ったので入ったのだった。だが、レジに行く前に、ホウレン草を手にした場所にまず逝ってみた。そこで、驚いたことに、1ユーロという値段はその横にある商品の値段であることを発見し、こんなこともあるのかと驚いて出て行った。
 でも、この瓶詰ホットドック用ソーセージはわたしのほうがちゃんと値段を見ていたという自信があった。だが、戦うのは、レジに並ぶ客の列を見てやめた。
 きっと、彼女たちは、この忙しいのにそんな瓶のソーセージひとつのことで手間をかけると睨みつけられるような気がして諦めたのだった。


 帰宅すると、ソニーでグリーンブックのケンタッキーフライドチキンを車中で食べ、窓から骨を投げ捨てるシーンを視聴しながらチキン・ウィングㇲ5,6本と熱さで裂けてしまったソーセージ3本に齧り付いた。結構それで腹が一杯になった。


 あとはジョインでテレビも映画も視聴することなくかといって創作する餅もないのでベットに横になったが、腹水のせいだろう横隔膜を忙しなく上下させMp3でもう10回近くも聞いた西村賢太と蒲田○○氏の対談を聞きながら寝ようとした。が、胸に圧迫を受けて不可能だった。腹水。
 緑茶もコーヒーも呑んだないが、ロイボスティーを飲んでいたせいかもしれないと思った。それにフライドチキンとともにやはりビールは一本飲んでいた。そのためにこの呼吸困難なのかといまさらながら呆れ驚くのだが、やむを得ないと思った。これからは寝る前にはもっと液体、水分補給は避けなければらならないと思った。
 02:19 2024-02-08

2024-02-06 火曜日

2024-02-06 火曜日


 昨晩のフリックストーリーは、テーマ音楽だけがとても懐かしかった。


 土曜日にヴィルマ―スドルファーシュトラーセに出かけただけで、この火曜日も一歩も外にでなかった。


 午前中二一度ブザーが軽くポーンとなり、おそらく隣の作業員たちだろうと中をかたずけているらしいのが一日中聞こえていたので、ドアの覗窓から見るとやはりそうだった。
 コリドアーには冷蔵庫や本棚などが出されていて、二人の中年の中背の男が見えた。ひとりは初老という年齢も感じさせたブロンドで地下室への鍵を開錠して欲しいと言うことであった。そのドイツ語はおそらくポーランド人なのかなと思った。そんな訛りが感じられた。
 外にだしてある家具を一瞥しながら、わたしでは、もうそういうものも運ぶような体力がないことを思った。
 地下に降りる前に、部屋をちょっとだけ見させてもらった。1室半にシャワーとトイレ、厨房と言うやや小さめの住居だった。わたしの西部屋、つまり書斎として使っている部屋に接して居間兼寝室として使用していたようだった。
 最後はというか、会うたびに思ったが、赤ん坊みたいな顔になっていた老人だった。


 地下を開錠し、一人上がって戻るときに、やはり体がきつく感じられた。
 なぜなのだろうと考えた。血は生産され平常の体に戻りつつあったのではないのかと思い、実際にはしんどさしか感じられないので、落胆だった。
 04:05 2024-02-07


 19時半。グリーンブックのケンタッキー州でケンタッキー・フライド・チキンを車中でムシャムシャ齧り付き、窓から骨を投げ捨てるシーンを見て、わたしも矢も楯もたまらなくなって、冷凍庫にある、ポークのカツレツと同じように衣を纏った魚とポンメスをオリーブオイルをたっぷり垂らしてフライパンで焼いて食べた。I村ともこのことを話題にして哄笑したこともあったが、また冷凍になってチキンではなくオリジナルを食べに行きたいと言う衝動が突き上げてくるのを覚えた。
 ブロッコリーも同じフライパンで炒めて食べた。
 八時15分から、The New Worldを期待してみた。コリン・フェラだったかが主演の映画だったが、いまいちというできだったと思う。最高点の三点だったが。


 1時半にはベットインしたが、腹水のせいだろう、横隔膜で呼吸をしなければならず、午前三時にはベットから降りた。
 アソスのタブレットに貯蔵していた、西村賢太と石橋貴明の対談、そして東大での西村賢太を囲んだ田中栄光と藤沢清造の短編集を仮題図書にした談話会みたいなものだが、ベットオフした。
 中田敦彦のサピエンス全史を今見始めている。
04:24 2024-02-07

2024-02-05 月曜日

2024-02-05 月曜日


 九時半起床。


 午後1時半。I村に電話 
 添乗員はわたしについて何もコメントしてなかったということであった。戦争の話はあまりしないでくれとI村に要求してきたと言って彼は怒っていた。関係があれば、触れなければならないとはわたしも思うのだが。
 わたしのことを気にかけていたのはむしろWの幹部にあたる椎名誠風の色の浅黒く野性的な人相の背の比較的高い男性と、美人で米語が恐ろしくできるNさんで、事後の健康状態とかを気にして口にしたそうだった。彼らとはもう5年間はわたしも関係していたから、気にもしてくれたのだろうと思う。


 午後2j半。 半納豆ごはん。八錠。


 夜の八時15分過ぎ。アラン・ドロンとジャン・ルイ・トランテニヤン共演のフリック・ストーリーを視聴する。初めてこれをみたのはもう45年前で映画館でだった。当時、トランティニヤンを見て、酷い人相の男だと思ったが、この男優が男と女とかで主演をつとめている知って、相変わらず人相は良くないとは思うのだが、ちょっと考えさせられた。人相が悪いと結局最後はこういう役柄しか回ってこなくなるのかとおもったりもした。
 ストーリーはシンプルにしか感じられなかった。ただ、トランティニヤンの演技で、凄く冷徹な犯罪者を敵に回しているということは映画で感じていた。ドロンを引き立てる効果もあったろう。


 そのあとで続けてアーテで、香港のアクション映画が流れていて、なんとなく見てしまった。
 それからすでに3,4日前に視聴していた、ケイト・ブランチェット主演のスキャンダル日記も傍観、傍聴してしまっていた。テレビは炭水化物、見始めたらとまらない・・・・・
03:50 2024-02-07

2024-02-04 日曜日

2024-02-04 日曜日


 今朝は六時に起床した。


 烏賊を解凍して、恵方巻ならぬ太巻きを二本作って醤油とお酢で食べた。量は普通に納豆を食べるときよりもコメの量は少なかったはずだった。だが、まもなく体がこの炭水化物のせいで重く怠くなり、では、睡眠が今朝は少なかったから眠りにあてようとしたのだが、眠れなかったと思う。腹が張ってしまって。十時半に食べて8錠も嚥下したのだったが、正午10分過ぎには横になっていられなくなった。その間に眠れてはいなかったと思う。
もやもや妄想はなにかしていたと思うが。
12:22 2024-02-04


 今日は、午後にボーデ博物館に行くこともちょっと考えていた。月末に奈良大学の学生と教授が来てボーデと旧博物館を見学にくるということなのだが、あまり面白くもない博物館なのであるが、でも、ペルガモンが閉館中のベルリンでは代替としてボーデに行くようなことがこれから増えるのではとも考えられたからであった。もしかしたあI村を誘って、録音もして、それを彼にコピーしてあげても良いとさえ考えたが。やはりここからだと簡単に行ける場所ではない気分だった。もちろん、シャーロッテンブルク区からだって、遠いと感じているが。
 いかないことになるかと思う。
 鉄剤を正午半に飲んだ。


 風が強い。外気温は十度。曇天。
12:29 2024-02-04


 私がベストだと思う映画作品の中からアマデウス、グリーンブックなどを視聴Hして6時から8時半とあっという間に時間は経過して行った。それは11時半になっても同じだった。
 公庫をは創作、22歳のを起床後にすぐにやろうと思っていたのだったのに。
12:34 2024-02-04


 午後三時にはベットから降りた。自己流の恵方巻二本のせいで、ちょっと横隔膜で呼吸しなければならない辛い呼吸困難の感じになってしまい、睡眠は諦めざるを得なかった。自業自得だった。
 『22歳○○』創作が停滞気味であるのを思う。これも、貧血、いつのまにか、出血多量であるにも関わらずわたしがこれまで通りにこちら産の緑茶を水代わりに飲んでいて、常に鉄分吸収を自分から阻止してしまっていたことからくるわけだが、緑茶、抗癌でもあり、健康に頗る良いグリーンティーで自分がやられるなんて誰が想像するだろう。
 でも、一昨日鼻血を出してから、コンデションは良くなりつつあるという気がしている。それだけでも凄い進歩と恢復だと思う。でも、土曜日の東方超市への買い物はやはり体にきつかったが。
15:15 2024-02-04


 ベットから降りた後で、計算して食後二時間は経過していると思ったので、鉄剤をロイボスティーで飲んだ。すると、約一時間半ご、この日記を書いている時に左の鼻から血が滴ってきた。
 鼻血だ。が、なぜと思った。わたしは薬のことが良く分かってないのだと思った。
16:45 2024-02-04


 創作を見ると、最後の日付が27日だった。つまり9日間も執筆してないことになる。創作から気持ちが離れると日が経つのはとても早いものだ。
 観光ガイド最盛期の時代に創作を十年単位でフェアゾイㇺしていたのも頷かれることだ。ここでまた、『拒食症の開けない夜明け』を書いた女流作家の言葉が思いだされてくる。


「仕事して、遊んでなんかしていては小説なんて書けません」


 確かそんなことを言っていたはずだった。
 私の場合は時間があるのに、空虚を感じてytをついつい視聴してしまうと言う、遊びをしてしまうという部分があるのだが。
16:54 2024-02-04