蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

執筆環境と執筆機器

毎日暑い日が続きます。欧州全体が水不足という状態です。ヨーロッパにいて羨ましいと思う人もいらっしゃるでしょうけれども、お金がなくしかも遊ぶという気持ちも一切ないおたくっぽい私にはほとんどこちらにいても意味?がないことです。
病気にでもなったらせいぜい新米医者の実験体として手術台にのぼるようなものです。そのためにこちらの人が必要としているぐらいであとは肉体労働者として歓迎されるぐらいでしょうか。いえ、それさえも失業者や浮浪者、社会保障を受けている人の多い現状では必要とされていないのかもしれません。開口一番、また、愚痴っぽくなってしまった。


起床して、ラジオもテレビもついていないぼんやりした状態で思ったことは、そうだ、このまま執筆しようとして、あるいは執筆してそのままにしてある草稿に立ち向かうのはこの白紙にちかい状態だと思い出したことでした。
ラジオとかから新しいインフォなども入れずに、そのまま自分の脳裏に沈殿しているものを書き留めるには無風状態ででもなければ純粋培養できないと思ったことでした。
しばらくなにかを書くという作業、行為から離れてしまっています。・・・・と思っても、これから午後にある仕事のためにやはりそういうこともできないと再び諦め始めていますが。


スマホで執筆している人もいるといいます。わたしにはそういうことが、まずできたとしてもスマホやタブレットで執筆するという行為はひどく面倒くさいし、それだけでもうこういう書き方は失格という気持ちです。
叩き込むように夢中で書けなければ、そんな執筆環境でなければ・・・